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    <title>【275研究所】Director</title>
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    <updated>2010-05-23T18:22:40Z</updated>
    
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    <title>進む勇気と、戻る勇気</title>
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    <published>2010-05-23T18:20:56Z</published>
    <updated>2010-05-23T18:22:40Z</updated>

    <summary>　進む勇気と、戻る勇気。あるいは動く勇気と、動かない勇気。 　登山中に続行が困難...</summary>
    <author>
        <name>所長　菱川貞義</name>
        
    </author>
    
        <category term="勇気について" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.275.jp/director/">
        <![CDATA[<p>　進む勇気と、戻る勇気。あるいは動く勇気と、動かない勇気。</p>

<p><br />
　登山中に続行が困難な状況に陥った時には、さらに上に登る決断よりも、山を降りる決断のほうが実は登山家には勇気が要る。ということがいわれたりする。しかしこの２つの勇気は、現代社会のさまざまな局面で試されている。しかもそのどれもが人類の存亡を決してしまうぐらいの重要度で。</p>

<p><br />
　いくら地球温暖化防止という目的のためとはいえ、いくら教育や医療やほかの課題のためとはいえ、いくら劇的な成果が期待できるとしても、人類にとって取り返しのつかないリスクの可能性がある場合、果たしてそのリスクを無視して進んでもいいのだろうか。</p>

<p><br />
　ここで「戻る勇気」とは別に、もうひとつ重要な問題がある。いま人類が歩んでいる道にはとても奇妙な道がたくさんある。その道は、いったん前に進むと、後ろに戻る道が即座に消えてしまうのだ。</p>

<p><br />
　自分たち人類という種をかんたんに絶滅させる知恵を身に付けたヒトは、進む前に、いつでも戻れる道を用意しなければならない。やみくもに「大丈夫」といって進めて、いざ人類絶滅のリスクが現実のものになった時、だれかが謝ったり、だれに責任があるのかを追求したりしても事は収まらない。問題は人類滅亡の危機を回避できるかどうか、後ろに戻れる道があるのかどうか、なのである。</p>

<p><br />
　いま人類はとても危うい状況下にあるのだが、しかし、われわれは明るく進んでいける道をつくることもできる。 思う存分に進んでいくことができる社会。いつだって懸命に開発できる社会。 実は275研究所はこのような道づくりも行なっている。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>感覚を重んじる勇気</title>
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    <published>2010-01-03T04:25:11Z</published>
    <updated>2010-01-18T14:02:39Z</updated>

    <summary>　人はなぜ働くのだろうか。仕事をする喜びはどこからやってくるのだろうか。人はなぜ...</summary>
    <author>
        <name>所長　菱川貞義</name>
        
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        <category term="勇気について" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.275.jp/director/">
        <![CDATA[<p>　人はなぜ働くのだろうか。仕事をする喜びはどこからやってくるのだろうか。人はなぜ生きているのだろうか。何をしているときに生きていると感じるのだろうか。人の能力とはどんなものなのだろうか。人はなぜ自分の能力を高めようとするのだろうか。</p>

<p><br />
　いずれも同じことを聞いているに過ぎない。いずれも答えはひとつであり、答えはとても簡単だ。本当に価値あるものを求めているとき、人は幸せになれる。自分の感覚を頼りにすれば、まっすぐな答えが導きだされる。それが自然なことであり、そこには、自分を含めた自然に寄り添ったルールが存在する。</p>

<p><br />
　だから、自然と人との共生なんて当たり前のことなのだ。　そんなことを考えないといけなくなっているのは、そもそも自分の行動が自分の感覚と乖離しているからだ。これはとても奇妙な現象だ。こんな奇妙なことを人間は考えたり、行動している。そこには外圧としての奇妙な力が働いているのだろう。確かなことは、感覚を頼りに行動するのが困難な時代にわれわれはいる、ということだ。自分の感覚を重んじる、という生きものとして当たり前のことに勇気が必要な時代ともいえる。</p>

<p><br />
　そして、環境問題も人間の奇妙な行動のひとつの結果に過ぎないのかもしれない。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>自然に寄り添ったルールのイメージ</title>
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    <published>2009-10-04T17:51:33Z</published>
    <updated>2009-10-04T17:53:45Z</updated>

    <summary>　人間が生きていくために不可欠な地球が、人間にとってあまりにも小さくなった今、人...</summary>
    <author>
        <name>所長　菱川貞義</name>
        
    </author>
    
        <category term="勇気について" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.275.jp/director/">
        <![CDATA[<p>　人間が生きていくために不可欠な地球が、人間にとってあまりにも小さくなった今、人びとがこれまでのように好き勝手に生きていけば当然のごとく人間社会は破綻する。しかし、これは地球にとっては何の問題にもならない。地球は人間がいなくても平気で生きていける。さらに地球温暖化がどれほど進もうが、氷河期がやってこようが、たとえ酸素がなくなろうとも、だ。よく「地球にやさしく」という言葉を耳にするが、地球にとってはありがた迷惑な話であり、ほんとうは「人間にやさしい地球のままでいてもらうために」というべきだろう。</p>

<p><br />
　ということで、人間がこれからも持続的に生きていくためには、自らをあるルールの中において生きていくほかはない。ただ、それは何か犠牲的な暮らしを想像しがちだが、ここにそんな概念を持ち込むと話は見えなくなってしまう。また、ルールといっても法律的なものだけを想像してはいけない。</p>

<p><br />
　たしかに地球が無償で提供してくれている生態系サービスを好きなだけ使うことはできなくなったが、「生態系サービスを好きなだけ受けられない」＝「我慢しなければならない」という図式を安易に用いるのは危険だと考えている。「生態系サービスが有限であり、いっぽうで人はひとりでは生きていけない生きものであるのだから、みんなで生態系サービスを分けあうのは当たり前のことでもあり、我慢ではなく、進んで（喜んで）それを行う姿が普通だ」という視点も持っておいたほうがいい。</p>

<p><br />
　では、我慢ではなく進んで行うための、言い換えれば、人間が自然にそれを行えるためのルールにはどんなものがあるのだろうか。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>「自然に寄り添う」ことの意味</title>
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    <published>2009-09-02T20:35:33Z</published>
    <updated>2009-09-02T20:40:50Z</updated>

    <summary>　一度、ここまでを振り返っておきたい。まず、確認しておきたいのは、文明を批判して...</summary>
    <author>
        <name>所長　菱川貞義</name>
        
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        <category term="勇気について" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.275.jp/director/">
        <![CDATA[<p>　一度、ここまでを振り返っておきたい。まず、確認しておきたいのは、文明を批判しているのではない、ということ。科学を否定しているのでもない。先進国を批判しているのでもない。ましてや「昔に戻れ」というつもりは毛頭ない。人が効率を求めるのも、便利さを求めるのも、先へ行きたいのも、当然のことだ。</p>

<p><br />
　ただ、これもしごく当然のことなのだが、たとえば、科学の力を使って効率や便利さを追求しようとするとき、あるルールのもとで追求されなければならない。理由は２つある。</p>

<p><br />
　１つは、「効率や便利さの追求」は目的ではない、ということ。<br />
　２つめは、人間は生きものであり自然物（複雑系）である、ということ。</p>

<p><br />
　科学や経済がとことん効率や便利さを求めても、生きものである人間は、それに"ある"程度までしかついていけない。"ある"程度を超えると、それまでは喜びだったものが苦痛に変わっていく。<br />
つまり、自由な発展にまかすのではなく、"ある"程度に抑制するルールが必要になる。</p>

<p><br />
　スポーツにルールが存在するように、学校だろうが、国会だろうが、社会の中のありとあらゆる人間の活動のすべてにはルールが存在する。自由はルールがあってこそ保証される。<br />
問題はそのルールが正しいかどうかだが、正しいかどうかをその場所、その時間で検証できるものはまだいいが、未来の世代をまたないと検証できないものはどのように判断したらいいだろうか。</p>

<p><br />
　そんなとき、ルールを正しくするための、かんたんな方法がある。「そのルールは自然か自然でないか」、言い方を変えれば「それは自然に寄り添った考え方かどうか」という指標を持つ、という方法だ。</p>

<p><br />
　もちろん、そのためには"自然"とは何か、をしっかり想像できることが不可欠だ。<br />
それと合わせて、"ある"程度がどの辺りなのかもこの先考えていきたい。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>貧困層がほんとうに困っていること</title>
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    <published>2009-06-11T20:09:16Z</published>
    <updated>2009-06-11T20:13:06Z</updated>

    <summary>　当たり前のこととして、お金より大切なものはたくさんあるが、それでも、自然から遠...</summary>
    <author>
        <name>所長　菱川貞義</name>
        
    </author>
    
        <category term="勇気について" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.275.jp/director/">
        <![CDATA[<p>　当たり前のこととして、お金より大切なものはたくさんあるが、それでも、自然から遠ざかり、自然の知恵が乏しくなり、生きる力がなくなっていくなかで、お金がなくては生きていけない、という強迫観念にかられる人間が多くなっているように思われる。わずか100円のお菓子欲しさに人を殺すというような事件が起こると、「こんなにも生きる力がなくなっているのか」「人と人のつながりがなくなってしまっているのか」と絶句してしまう。</p>

<p><br />
　後進国における貧困層への支援を見ると、さらに強くそれを感じてしまう場面がある。先進国は、１日１ドル以下の生活を送っている貧困層を救おうと、外貨を獲得できる仕事を後進国内につくる経済支援に力を入れている。しかしそれは、グローバル市場の中で、外貨の獲得と引き換えに国内の無償の生態系サービスが国外に流出してしまうことが多く、実はそれまでお金に依存することなく成り立っていた基本的な生活が脅かされていることにつながっているのだ。</p>

<p><br />
　例えば、自国の食糧として消費していた野菜畑をコーヒー農園に変えて外貨を稼ぎ、稼いだお金で外国から食糧を買うという、豊か（？）な暮らしがはじまる。そのとき、コーヒー農園は市場競争に勝つために高い効率が求められ、大規模な支援（？）を受けて設備投資をすることになる。当然、投資は一度だけでなく、他国など競合するコーヒー農園との競争が進むにつれ、常により高い効率が求められるようになり、何度も設備を投資し、大規模化し、ますます国内の食糧自給率が下っていく。いつの間にか、コーヒー農園は豊かな生活を約束するものではなくなり、過剰な設備投資のために積もった借金を返済するための役目に変わっていくことになる。この泥沼の競争に疲れ、自給自足の生活に戻ろう、と思ったときは時すでに遅し、で、もう引き返せないところに来てしまっている。いつの間にか、自国のために使える生態系サービスはほとんどなくなり、逆にお金がないと生きられなくなってしまっている。生きる力がなくなった状態だ。</p>

<p><br />
　悲惨な状況はこれに留まらない。設備での効率が思うようにいかなくなってくると、労働力が搾取されはじめる。労働者の給料が抑えられていき、一家の大黒柱一人の稼ぎでは暮らしていけなくなり、小さな子どもたちも労働に駆り出されていく。こうした理由で学校に行けなくなった子どもは、いったいだれがつくっているのだろうか。</p>

<p><br />
　短期的に見ればよくみえても、外国に依存しすぎるのはよくないし、先進国の物差しで見ているだけでは問題の本質は解決しない。だから、まちがった援助をしてしまって、援助を続ければ続けるほど、かえって不幸になることもあるのだ。もともと、お金なんて一切使わないで基本的な生活のすべてをやってきた地域では、お金を稼ぐことはほとんどできなくても、地球からの恵み（無償のサービス）に感謝しながら、自然のルールの中で、人と人がつながりながら、せいいっぱいの努力を重ねることが、幸せの基本だと思う。</p>

<p><br />
　そしてこれは、後進国だけの問題ではない。日本も同じだ。加速度的に拡大する耕作放棄地は何を語っているのだろうか。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>ほんとうの幸せを見つめる勇気</title>
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    <published>2009-04-25T01:04:03Z</published>
    <updated>2009-04-25T01:05:24Z</updated>

    <summary>　環境の時代に入ったといっても、「持続可能な社会」とか「生物多様性」といった言葉...</summary>
    <author>
        <name>所長　菱川貞義</name>
        
    </author>
    
        <category term="勇気について" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.275.jp/director/">
        <![CDATA[<p>　環境の時代に入ったといっても、「持続可能な社会」とか「生物多様性」といった言葉から抱くイメージは、まだまだ義務的だったり犠牲的に対応しなければならないような、何かマイナスなこととして、できたら避けて通りたい話題だと受け止めている方が多いだろう。</p>

<p><br />
　実はこのようなイメージを持つこと自体が、すでにさまざまな、おそらくはかなり歪んだ常識たちを身にまとっているためにおきていると考えるべきだ。なぜなら、「持続可能な社会」とか「生物多様性」に配慮しないということは、食糧だろうが、工業製品だろうが、アート作品だろうが、人間が何かを作りだすために絶対不可欠な、水、土、空気といった、地球からの無償の恵みを自らが拒絶することにつながるのに、犠牲的な気持ちになるのはとてもおかしなことだからだ。むしろ、生活者にとっても企業にとっても、自分たちの日常の生活や未来のために何よりも優先して取り組む姿勢が自然に現れてしかるべきだろう。ちなみに、バーチャルな資本である情報にしても、元々の自然資本（音、光、匂いなど、またはそれが元になった遺伝情報）がなければ、一切の創造作業をすることができない。</p>

<p><br />
　これはとっても単純明快なことであるのだが、なぜかこのように考えることを避けようとする力が強大に働く。「社会」を眺めている場所を少し変えて、いつもとちがう角度から見てみるだけで、持続的に幸せを追求できる社会がはっきり見えるのだが、ほんの少し場所を移動する努力を妨げているのが「歪んだ常識」なのだと考えられる。</p>

<p><br />
　この「歪んだ常識」の衣を脱ぎ捨てることこそ、ほんとうの幸せを見つめる勇気となるのだろう。そしてもう一度、現社会や幸せや未来についてとことん考えに考え抜いてみてほしい。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>常識のバーチャル化メカニズム</title>
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    <id>tag:www.275.jp,2009:/director//14.326</id>

    <published>2009-03-30T18:06:33Z</published>
    <updated>2009-03-30T18:14:02Z</updated>

    <summary>　数学の公式でも一度は自分で証明してみるように、常識についても実際にそれが真であ...</summary>
    <author>
        <name>所長　菱川貞義</name>
        
    </author>
    
        <category term="勇気について" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.275.jp/director/">
        <![CDATA[<p>　数学の公式でも一度は自分で証明してみるように、常識についても実際にそれが真であるかどうか自分で確かめることもあるだろう。また、常識といわれた事柄を無視して生活を続け、そのために被害を被ったりしたときに「本当だったのか」と納得することもある。</p>

<p><br />
　しかし、日々どこからともなく大量に押しつけられている常識のひとつひとつを自分で確認することはかなわない。すべてにおいて都合よく納得する機会が訪れることもない。実のところ常識は確かめることも経験することもなく、「そういうものだ」と理解しているものがほとんどなのではないだろうか。</p>

<p><br />
　それでも常識を常識として受け入れられるのは、「自分以外の多くの人間が実際に経験していること」という安心感があるからだろう。だからこそ「いまさら人には聞けない常識」というような本のタイトルが成り立つのである。</p>

<p><br />
　しかし、現在の社会問題にまつわる常識は事情が異なっている。本当は右とも左ともいえないような複雑な問題まで乱暴に常識化されているものも多い。環境問題においてもこうした常識が多いことはいくつか思い浮かべてみるとよくわかる。いまや常識は、社会生活の中で自然発生的に生まれているものは少ない。世界中のだれ一人として「どこからみても疑う必要のないこと」を証明していない常識もたくさん存在している。いわばバーチャルな世界の常識である。</p>

<p><br />
　なぜ、このようなことが起こるのか。ひとつには、"常識"も情報ビジネスのひとつのコンテンツになっているため、「社会生活を円滑に送るため」以外の欲求から生まれることがあること。極端な言い方をすると、「生活に役に立たなくても売れればいい」という常識たち。もうひとつとして、右か左かわからないことを常識化することで利益を得ることができる人の意識から生まれる常識たちがある。</p>

<p><br />
　これらの常識たちが現代社会に深刻な影響を及ぼしている。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>&quot;常識&quot;と&quot;環境問題&quot;の関係</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.275.jp/director/2009/03/post-5.html" />
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    <published>2009-03-12T01:22:09Z</published>
    <updated>2009-03-12T01:30:30Z</updated>

    <summary>「本はたくさん読んだほうがいい」 「持っている情報は多いほうがいい」 「判断はす...</summary>
    <author>
        <name>所長　菱川貞義</name>
        
    </author>
    
        <category term="勇気について" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.275.jp/director/">
        <![CDATA[<p>「本はたくさん読んだほうがいい」<br />
「持っている情報は多いほうがいい」<br />
「判断はすぐにできなければならない」<br />
「学校の成績をがんばって上げなさい」<br />
「大学は行ったほうがいい」<br />
「小さい企業より大きな企業に就職したほうがいい」<br />
「老後のことをしっかり考えなさい」<br />
・・・・・</p>

<p><br />
　このようなセリフを聞くと、あなたは何を感じるだろうか。<br />
「耳にタコができるような説教じみた話だ」とか、「新味のない決まりきった話ばかりだ」と思うのだろうか。それとも、別の何かを感じるだろうか。</p>

<p><br />
　わたしたちは"常識"という便利な知識を備えている。たとえば、「太陽は東から昇る」とか「お店ではお金を払って商品を買う」というような常識がなければ、社会生活はままならない状況になってしまう。常識は年齢を重ねるごとに、親やまわりの大人や、学校や会社やテレビや新聞などからの情報によって増えていく。情報がいやというほど溢れている現代社会では常識の数も並外れたものになっている。国内に存在する常識の数では日本は世界で何位にいるだろうか。もちろん中には日本国内でしか通用しない常識もものすごい数になっているだろうし、生活に必須の常識やどうでもいいような雑学的な常識を含め、いまあなたが持っている常識のいっさいを記述しようとすると、あまりの多さに辟易することになるだろう。</p>

<p><br />
　さて、ここで次の仮説について考えてみてほしい。</p>

<p><br />
「身にまとっている常識という衣の数と、人間の人間にとっての環境問題の解決能力の高さは、ちょうど反比例の関係にあるのではないだろうか」</p>]]>
        
    </content>
</entry>

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    <title>「勇気」を生みだす環境</title>
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    <id>tag:www.275.jp,2009:/director//14.237</id>

    <published>2009-02-16T01:27:11Z</published>
    <updated>2009-02-16T01:34:47Z</updated>

    <summary>　勇気を出すために、まず個人の問題として考えられるのは、「体や心を鍛える」といっ...</summary>
    <author>
        <name>所長　菱川貞義</name>
        
    </author>
    
        <category term="勇気について" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.275.jp/director/">
        <![CDATA[<p>　勇気を出すために、まず個人の問題として考えられるのは、「体や心を鍛える」といったところだろうか。プログラムとしてはいろいろあるのだろうが、これにはいったんは触れないでおこう。それぞれの個人の問題ではなく、ここでは身の回りの環境の問題がいかに勇気（個人差が大きいと思われている）と結びついているかに注目したい。</p>

<p><br />
　ただ、個人の問題でひとつ扱わなければならないのは、情報リテラシーにかんするものだ。高度情報化社会といわれて久しくなってきたが、情報と商業の結びつきが年々強くなるにつれ、情報環境は一部劣悪な状態になっており、世の物事についてほとんど正反対に理解させられていることも少なくない。見方によれば地球環境問題以上の深刻さである。この意味では個人の問題のように思える情報リテラシーも環境問題ということができるだろう。</p>

<p><br />
　最大の課題は、多くの人たちがその劣悪な状態に気づいていないことだ。直接現場で自分の体では体験していない、見ても聞いてもいないことについて、遠くにいて一方的に送られてくる情報だけで判断していることが、いかに日常的に行なわれているかをしっかりと心に留めなければならない。</p>

<p><br />
　このことをまず強く意識したうえで、情報の読み取り方、書き方の技術を一定以上に高めておくことが現代社会を生きていくうえで必須となる。日本人が日本語をしっかりと身に付けなければならないのと同じぐらい重要なのである。（いや、本当は情報リテラシーが乏しくても問題ない社会をつくることが理想かもしれない）</p>

<p><br />
　さて、次に、情報環境を含めた、わたしたちの勇気を取り巻く環境について見ていこう。</p>]]>
        
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    <title>「勇気」とは何だろう</title>
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    <published>2009-01-22T16:20:29Z</published>
    <updated>2009-01-24T04:18:55Z</updated>

    <summary>　なんだか、まだまだ出口の見えない、得体のしれない、混とんとした課題が山積してい...</summary>
    <author>
        <name>所長　菱川貞義</name>
        
    </author>
    
        <category term="勇気について" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.275.jp/director/">
        <![CDATA[<p>　なんだか、まだまだ出口の見えない、得体のしれない、混とんとした課題が山積している現代社会を生きていて、いったい「ひとの勇気」というものがどれほど社会課題の解決に役立つのか、どんな場面で重要になってくるのか、きっと、多くの人がそんな疑問を持つことだろう。「勇気を出そうにも、解決策や最善策が見えない中では出しようがないではないか」と。</p>

<p><br />
　ここで「勇気とは何か」ということを根本から見つめ直さないと先へは進めない。</p>

<p><br />
　勇気とは、「判断や実行が困難な物事に対して勇ましく向かっていく心」の問題だけでなく、いや、ひょっとするとそれ以上に重要な問題が勇気の力を左右するのではないか、という仮設を立てて、「ひとの勇気」に注目しながら、明るい未来への出口を探ってみたい。おそらく、マジックの種明かしのように「そういうことだったのか！」という感嘆の声をみなさんと共有できるのではないか、と期待して。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>話はかんたんでむずかしい</title>
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    <published>2009-01-04T13:36:54Z</published>
    <updated>2009-01-22T16:25:09Z</updated>

    <summary>　社会は今、地球温暖化をはじめ、教育、医療、福祉、経済、政治などあらゆる場面で重...</summary>
    <author>
        <name>所長　菱川貞義</name>
        
    </author>
    
        <category term="勇気について" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.275.jp/director/">
        <![CDATA[<p>　社会は今、地球温暖化をはじめ、教育、医療、福祉、経済、政治などあらゆる場面で重大な危機に直面している。しかも事態は年々深刻化している。いちばん問題なのは有効な打開策が見えないことだ。いや、「見えない」のではなく、国家レベルにおいても個人レベルにおいても有効と思われる策がいくつも提示されているにもかかわらず、「実行できない」でいるのだ。さらに、「実行できない」原因は知識不足や能力不足といった類いのものではなく、人間ならだれでも直ちに実行に移すことのできるものがほとんどである。</p>

<p><br />
　実行を拒絶しているわけではない。問えば、ほぼすべての者が「実行すべきだ」と答える問題も多い。なのに、いざ実行するときになると、複雑な問題を持ち出し、実行できないことを見事に正当化して見せる。何より優先する、といっている地球環境問題はとくにひどい状況にある。同じ人間が、「実行しなければならない」といいながら、いっぽうで、かたくなに実行しようとしないのだ。</p>

<p><br />
　この摩訶不思議な現象の根本原因はどこにあるのだろうか。なぜ、人間はもっとうまくやれないのだろうか。しかし、いっぽうで、環境、教育、医療、福祉、経済、政治といったものの「理想の姿は見えている」とすることも実はひどい勘違いかもしれない。</p>

<p><br />
　百歩譲ってもはっきりしていることは、現状はうまくいっていない、ということだ。何かがおかしいことはわかっている。さてさて、どこから手をつけていけばよいのか。話はかんたんでむずかしい。最初の一歩をどう踏みだせばよいのか、よく考えてみたい。</p>]]>
        
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    <title>楽しく活動しています</title>
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    <id>tag:www.275.jp,2008:/director//14.108</id>

    <published>2008-11-27T22:33:50Z</published>
    <updated>2009-02-14T17:54:36Z</updated>

    <summary>　275研究所のサイトの体制がようやく整いつつあり、毎日見ていただけるようなもの...</summary>
    <author>
        <name>所長　菱川貞義</name>
        
    </author>
    
        <category term="案内＆報告" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.275.jp/director/">
        <![CDATA[<p>　275研究所のサイトの体制がようやく整いつつあり、毎日見ていただけるようなものにしよう、と計画しています。</p>

<p><br />
　まもなく、環境専門ニュースサイト「ジアスニュース」がはじまります。また、275研がかかわっているプロジェクトについても、その物語をみなさんと共有することを大切に考え、できるかぎり物語のプロセスを公開しよう、と思っているのですが、プロジェクトのみなさんはあまりに楽しく忙しく活動されていて報告が滞っている状態です。が、活動するのと同じくらい、活動を伝えることも重要なこととして、伝える体制をつくっているところですので、いましばらくお待ちください。そして、どうぞ、ご期待ください。</p>]]>
        
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    <title>「275」ワークショップの今後</title>
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    <id>tag:www.275.jp,2008:/director//14.63</id>

    <published>2008-11-16T18:28:43Z</published>
    <updated>2008-11-16T18:30:47Z</updated>

    <summary>　第1回「275」ワークショップを無事に終えることができた。第１回は、275（つ...</summary>
    <author>
        <name>所長　菱川貞義</name>
        
    </author>
    
        <category term="案内＆報告" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.275.jp/director/">
        <![CDATA[<p>　第1回「275」ワークショップを無事に終えることができた。第１回は、275（つなご）の重要な働きである、絆の力の解明と、それがいかに社会づくりに役立ち、企業、NPO、生活者の利益につながっているか、についてゲスト講師をお招きして参加者にプレゼンテーションを行なった。</p>

<p><br />
　現代社会に最も必要とされていながら、いかに創出するか、育成するか。また、どのように評価すればよいのか、にかんしては簡単に説明することがむずかしい。いや、簡単に説明できるのだが、簡単に理解することがむずかしい。</p>

<p><br />
　第2回からは、多様な視点から具体的なテーマに取り組み、絆づくり、社会づくり、利益づくりの結びつきと、「よき社会づくり」こそが、「よき社会づくり」だけが利益を生みだすことを参加者のみなさんと分かち合いたいと思う。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>２７５なニュースはじまる</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.275.jp/director/2008/10/post.html" />
    <id>tag:www.275.jp,2008:/director//14.62</id>

    <published>2008-10-30T17:55:47Z</published>
    <updated>2009-02-14T17:55:23Z</updated>

    <summary>　まもなく、275研究所が少し発展する。 来春開設予定だったニュースサイトが、思...</summary>
    <author>
        <name>所長　菱川貞義</name>
        
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        <category term="案内＆報告" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.275.jp/director/">
        <![CDATA[<p>　まもなく、275研究所が少し発展する。<br />
来春開設予定だったニュースサイトが、思いもかけなかった協力をいただき、あと1ヶ月ほどでスタートすることになりそうだ。</p>

<p><br />
　このニュースサイトは、このブログのテーマとも大いに関係している。一言でいうと、「ひとの勇気を引きだすニュース」が売りになっている。<br />
「感じるニュース」、まさに「それは社会にとってニュースなんだ」という気づきをもたらす。そして、多様な選択肢を思い浮かべられる透明感のあるニュース・・・。</p>

<p><br />
　決して、ニュースのためのニュースは流さない。<br />
これから「勇気について」も書き進めていくつもりだ。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>「275」ワークショップはじめます</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.275.jp/director/2008/10/275-1.html" />
    <id>tag:www.275.jp,2008:/director//14.61</id>

    <published>2008-10-21T18:32:37Z</published>
    <updated>2009-02-14T17:55:52Z</updated>

    <summary>　来月、11月（2008年）に第1回「275」ワークショップを東京と大阪で開催し...</summary>
    <author>
        <name>所長　菱川貞義</name>
        
    </author>
    
        <category term="案内＆報告" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.275.jp/director/">
        <![CDATA[<p>　来月、11月（2008年）に<a href="http://www.275.jp/news/2008/10/1275.html">第1回「275」ワークショップ</a>を東京と大阪で開催します。また、今後も多様なテーマと多彩な学習スタイルで実施していきたいと思っています。</p>

<p><br />
　だけど、本音を言うと、ぼくはセミナーとかハウツー本にはほとんど関心がなく、参加したり購入することはほとんどありません。現場を動き回り、試行錯誤し、時代を肌で感じ取ることのほうが「やるべきこと」や「解決に向かう方法」がはっきりとみえるからです。</p>

<p><br />
　このことを前提として、「275」ワークショップは、知識としての情報ではなく、大切なことを感じていただくための情報提供や議論を心掛けていこう、と思っています。</p>]]>
        
    </content>
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